前回、川崎病闘病記を書いてから、早5ヶ月。CRF負荷試験の結果も報告せずにここまで来てしまいました。
川崎病については一区切りついたので、まとめておこうかと思います。川崎病闘病記は今日でおしまいです。
まとめの最後には、CRF負荷試験の結果とその後の通院についても書いておこうと思います。
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川崎病闘病記 1日目 ~溶連菌へ感染~
きっかけは溶連菌でした。保育園や幼稚園ではよくある感染症です。このときは、3日間は保育園を休まなければいけないな、などとのんきなことを考えていました。まさか、あんな大変なことになるとは。。。
この記事では、溶連菌について簡単にまとめています。
ちなみに、体が疲れていると大人も溶連菌にかかるようです。喉がチョーーーー痛いようです。
川崎病闘病記 2日目 ~急遽、入院することに~
溶連菌と診断されて一夜明けた日の娘の体調は非常に悪いものでした。普段寝るときは目を完全に閉じて眠りますが、半目を開けて眠っており明らかに様子がおかしかったようです。
小児科で様子の異変に気づいてもらい、即大きな病院への紹介状をもらいます。そして、緊急外来へ。
CTスキャンや血液検査、尿検査などたくさんの検査を受けます。川崎病の疑いもあるが、まずは溶連菌の治療をすることになりました。効果がなければ川崎病の治療へ変更していきます。通院ではなく入院です。急転直下すぎる展開に不安が募ります。
このとき見てもらった先生が主治医になってくれましたが、非常に冷静な女医さんで、とても信頼のおける先生でした。入院中は主に3人の先生にお世話になりましたが、非常に先生に恵まれていたと思います。
また、入院中に役に立ったものなどは、下記にまとめています。
川崎病闘病記 3日目 ~効かない抗生物質~
入院生活が始まります。親は夜間は帰宅しなければいけない病院でした。3歳の娘の始めての一人でお泊りした場所は病院となりました。
この日はパパが終日付き添います。娘が食事をしては嘔吐を繰り返しました。鼻の吸引をとても嫌がり、嫌がる娘を押さえつけるのは大変でした。39度~40度もある熱は一向に下がる気配はありませんでした。娘のつらい姿をたくさん見ることとなりました。
川崎病の後遺症である冠動脈瘤。それを検査する心エコーは嫌がらずに受けてくれたのは良かったです。
長い入院生活のスタートは、800分1,000円のテレビカード購入のスタートでもありました。
川崎病闘病記 4日目 ~免疫グロブリン投与開始~
この日は大きな変更が3つありました。
- パンツからオムツへ
- 溶連菌から川崎病治療へ
- 食事から点滴へ
この変化は、抗生物質の治療が効かずに、トイレや食事を自力でできなくなるほど様態は悪化しているということを意味していました。
川崎病の治療は免疫グロブリンという血液製剤の大量投与で行います。様々なリスクがあり、使用と拒む親もいるようですが、私たちにはそれを使う以外の選択肢はありませんでした。
一刻も早く、40度前後の高熱が下がって欲しい。それだけを祈る毎日でした。
また、ママから吐血したと連絡を受けたパパが、電車で貧血になって倒れそうになりました。前に座っているおばあさんに席を譲ってもらったのは良い思いでです。
川崎病闘病記 5日目 ~下がらない高熱~
免疫グロブリンの効果か、いったんは37度台まで解熱します。しかし、午後になるとまた40度近くまで上昇。体温に一喜一憂です。
高熱に加えて、血中酸素が下がってきます。血中酸素が90%前後となってしまったので、ネブライザーをつけることになりました。点滴やら、ネブライザーやら、血中酸素を図る器具やらで、娘のまわりは線だらけになっていました。
明日熱が下がらなければ、次の治療を開始しると説明を受けました。免疫グロブリンに加えて、ステロイドの投与です。もしそれでも効果がない場合は、もっと大きな病院へ転院し、血液を入れ替えるような治療が必要になるかもとも言われました。
迫りくる後遺症の恐怖や、本当に熱は下がるのか?という不安で、精神的に一番きつかった時期です。
川崎病闘病記 6日目 ~ステロイドの併用開始~
熱は下がることなく、ステロイドの投与を開始しました。
新たな困難がいくつか生まれてきました。点滴の閉塞です。しばらく、点滴の閉塞のアラーとが頭から離れませんでした。また、副作用からかおしっこの出も悪くなりました。
良い要素としては、解熱傾向になってきました。それに伴い、食欲も少し出てきたのか何か食べたいと訴えます。が、しかし直ぐには食事を取ることはできないので、しばらくは点滴生活が続くのでした。
何はともあれ、良い方向へ向かってきたと思える日でした。
川崎病闘病記 7日目~9日目 ~パンパンに膨らんだからだ~
免疫グロブリンとステロイドの効果があって、37.5度以下に体温が下がりました。血液検査の結果も改善してきているようです。
この日からは、娘の回復を待つという状態です。なんと1日20時間以上も寝ていました(それはそれで心配)。4日間何も口にすることができませんでしたが、ゼリーを食べることができるようになりました。
病気からの回復以外にも、薬の副作用との闘いもありました。体中がむくんでパンパンです。その姿、まさにベイマックス。その姿に、全米とパパが涙したはずです。
川崎病闘病記 10日目~27日目 ~退院までの道のり~
解熱してから退院までがかなり長かったです。それほど、娘の体力は消耗し、強い薬を使っていたということなのでしょう。
ご飯の量が少しづつ増えていきます。体のむくみがとれていきます。血液検査の結果が改善していきます。日に日に元気を取り戻していく娘を見るのは「嬉しい」の一言でした。
主治医の女医さんのほかに、男性の先生にもお世話になりました。退院のときには、手作りの折り紙をあげると、先生からは一緒にとった写真とメッセージカードをもらうなどのサプライズもありました。娘の初恋はお医者さんだったのかもしれません。
ちなみに、この2大お世話になった先生ですが、別の病院へ転職してしまいました。どうやら医者の世界は人の出入りが激しいようです。
川崎病闘病記 32日目 ~退院後の外来~
退院後もアスピリンとステロイドを服用します。1週間は保育園へ行くこともできません。川崎病、ほんと大変です。
幸いにも後遺症の冠動脈瘤は発症していないようです。
川崎病闘病記 3ヶ月目 ~CRF負荷試験~
ステロイド治療をしていたため、1泊2日の検査入院が必要です。体内でステロイドを生成できているかを確かめます。
以前の入院中は、夜こっそり家に帰るようにしていました。娘もおきているときには帰って欲しくないといっていました。この検査入院では、「一人で寝るから帰っていいよ」との発言が!すごい成長を感じます。娘は、この病気の体験を通して、すごく成長していたようです。
川崎病闘病記 7ヶ月目
ということで、CRF負荷試験の結果報告をしますと、まったく問題なしでした。正常にステロイドが生成されています。いやー、よかった、よかった。
また、退院から約6ヶ月間は1カ月おきに通院する必要がありました。通院では、心電図と心エコーをとります。後遺症である冠動脈瘤が発生していないかの検査が目的です。その通院も問題なく完了し、次回は半年後に検査することになりました。冠動脈瘤も心配はないようです。
まとめ
川崎病という病気を通して、健康の大事さや、家族の大事さを学んだような気がします。
川崎病は原因不明の病気です。溶連菌と続きで発症しましたが、関連性はわかりません。
パパたちが子どもだった頃、数十年前は後遺症を残す可能性が高かったようですが、現在は治療法も確立されてきており、後遺症を残す可能性はかなり下がっているようです。
とはいえ、闘病中は親も精神的、肉体的に厳しいものでした。ほとんど考えたことがなかった「死」というものを身近に感じることにもなりました。
娘は今、元気に遊びまわっています。保育園で友達と同じだけ遊んで、水泳にも通っています。親も娘も川崎病だったことをすっかり忘れているほどです。
わざわざ、この記事を読んでいる人は、現在進行形で川崎病と向き合っている人かもしれません。
我が家は、「後遺症を残さないこと」を第一優先で考えてきました。そのため、免疫グロブリンやステロイド治療を早々にはじめることができました。実際に説明を聞いて、同意書に判子を押したのは、その日付き添いをしていたママです。前日にお医者さんが話をしてくれた内容をもとに、夫婦間で意思統一をしていたからできたことだと思います。
どういう考え方をするにせよ、あらかじめ夫婦で意思統一しておくことは重要だと思います。
この記事が、現在川崎病で闘病している人の力になれればこの上ない喜びです。
追伸.下の写真は、入院中に娘が折った折り紙のコップです。前日の寝る前に教えて、翌日病室へ行ってみると、こんなに沢山のコップが!子どもは予想外の行動をするのでおもしろいですね。